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「入れ歯」今昔物語

   入れ歯の歴史のお話

知識の部屋


今は昔。
歯が抜けて間抜けな顔になってしまった王様は、
威厳を保てなくなってしまったことに、ひどく心悩ませておりました。
「無くなった歯をなんとか元に戻せないものか…」
そうして考えついたのが入れ歯だった…のかどうかは定かではありませんが、
今回は、そんな入れ歯の歴史のお話をしようと思います。

はじめに
「入れ歯」って、どのくらい前からあったか、ご存知ですか?
現在の入れ歯の形に近づいてきたのは、
                          いつ頃からだったのでしょうか
日本VSヨーロッパ 入れ歯比べ
日本の入れ歯
「木の文化」と手先の器用さから生まれた、日本の「木床義歯」
「入れ歯師」と「口中医」の違い
江戸時代の入れ歯の作り方
甘党「滝沢馬琴」
西洋の入れ歯
西欧の入れ歯事情
ウェッジウッドの入れ歯があった!
サロンの貴婦人達の悩み
ジョージ・ワシントンの入れ歯
吸着式の原理の発見は「偶然」だった
近代・現代の入れ歯
ゴム床義歯の登場
「皇国義歯」から「西洋義歯」へ・・・
ゴムの入れ歯の作り方
新しい素材・プラスティック
現在の入れ歯
おまけのコーナー1(12/26
    昔の中国・韓国の入れ歯事情について
おまけのコーナー2
  昔の入れ歯安定剤のお話など


写真は、クリックすると別のウィンドウが開きます。
そのウィンドウを最大化すると、写真を大きく綺麗に見ることができます。


  「入れ歯」って、どのくらい前からあったか、ご存知ですか?


写真をクリックすると
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歯が無くなって困っていたのは数千年前の人達も同じだったようで、
どうやら「紀元前」から入れ歯というのはあったらしいのです。

地中海周辺の古代フェニキアのシドン(現在のレバノン・サイダ市)では
紀元前5世紀頃の墓から、
下の前歯を金の針金で固定したものが発掘されました。
「エトルリア人の金製のブリッジ」のように、
現在のブリッジに似た形のものも見つかっています。
これは、天然歯(まだ抜けていない歯)を土台として、
歯が抜けないように金の帯状の板で固定したものです。
磨耗で歯が磨り減って神経が出てしまったので抜歯した…
というケースも考えられるのですが、
この時代にも、ちゃんとムシ歯菌や歯周病菌がいたようなのです。
こうしてみると、人間のムシ歯や歯周病との付き合いの長さには、
ちょっと驚くものがありますよね。


  現在の入れ歯の形に近づいてきたのは、いつ頃からだったのでしょうか


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紀元前から歯に悩まされ、
なんとか歯を元通りにしようとしてきたヨーロッパ人です。
さぞかし技術が進んでいたと思われるでしょう。
ところが、意外なことに日本の方が、
今の入れ歯に近い物をかなり昔から使っていたようです。
発掘された中で、日本最古の入れ歯は、
全部「木」でできた「木床義歯(もくしょうぎし)」です。
使っていたのは天文7年(1538年)4月20日に74歳で亡くなった、
和歌山市の願成寺(がんじょうじ)の仏姫(ほとけひめ)という尼僧でした。
この入れ歯は、黄楊(つげ)の木を彫ったもので、
歯の部分と歯肉の部分が一体になっています。
奥歯のところが磨り減っていることから、実際に使っていたと想像できます。
1538年ということは、平安時代の入れ歯ということになります。
歯の部分まで木でできてるなどの違いはさておくとして、
形態だけを取って見ると、現代の入れ歯と遜色が無いフォルムをしています。
本当に日本人は器用なんだなぁと、感嘆してしまいました。


  日本VSヨーロッパ 入れ歯比べ


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平安時代から「入れ歯」を使っていた日本です。
鎌倉時代には「木床義歯」は全国的に普及し、
江戸時代には独特の技法が完成しました。
写真を見ると、奥歯の噛む面には鋲が打ってあり、
歯が残っている部分は、ちゃんとさけて作ってあります。
食事をすることも前提に作ってあるのが分かります。
対するヨーロッパではどうだったのでしょうか。気になるところですよね。
近代歯科医学の父と言われる、
フランスのピエール・フォシャールが発刊した
「歯科外科医」という本の第2版(1746年刊)から、
「総入れ歯」が登場しています。
当時は現在のように顎の粘膜に吸い付くという原理は、
まったく考えられていませんでした。
金属で作った入れ歯を上下に入れて、
バネの力で支えていたので、装着しても不安定でした。
食事をするのはほとんど無理で、見た目だけの入れ歯だったようです。
…ということで、歴史の長さだけでなく、
使い勝手も日本の物のほうがはるかに優れていたと言えるでしょう。


西欧の入れ歯事情
  上の入れ歯をバネで支えるという、
今考えるとかなり荒っぽい気もする「入れ歯」を使用していたヨーロッパ。
一体どんな入れ歯を使っていたのでしょう。
日本の入れ歯をお話する前に、こちらを先にお話することにします。

まず、当時の素材は、
カバ・セイウチの牙、象牙、動物の骨、金属などが用いられていました。
金属にはエナメルを塗ったり、ホーローを焼き付けたりしていました。
「動物」の中には「人間」も入っていたようで、
死んだ人の歯も売り物になったために、
1815年「ワーテルローの戦い」の戦場からも、
多くの歯が各地に送られたそうです。
また、アメリカの南北戦争(1861〜65年)の頃も、戦場から人の歯が、
なんと樽に詰められて英国に船便で送られていたこともあったそうです。
なんだか想像するのも怖いような話です。

これらの動物の牙や骨などの材料で作った入れ歯は、
腐敗してひどい臭いがしたり、着色したりしました。
そのせいで、多くの人が集まる所では、
扇と香水は必須アイテムとなってしまったようです。
扇であおいで悪臭から逃げ、汚れた歯を隠し、
強い香水をつけて匂いを消した…というより、誤魔化していたのでしょう。
体臭だけでなく、口臭も香水の発達に一役買っていたんですね。

形はどうだったかと言いますと、先ほども書いたように、
粘膜に吸い付かせるという原理は全く考えられていなかったために、
上下に馬蹄形の入れ歯を入れ、
バネの力で上の入れ歯を上方に押して落ちないように工夫していました。
最初は板バネを使用していたようですが、
顎の粘膜を傷付けることが多かったために、
スプリング状のバネを付けるように改良されました。


ウェッジウッドの入れ歯があった!


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腐敗・着色・悪臭の無い材料として、
陶材(ポーセレン)で焼いた入れ歯を作ったのは、
1774年パリの薬剤師でシャトーと歯科医ド・シャマンでした。
現在のようなピンク色に着色した土台(歯肉の部分)と、
白い歯が一体になった入れ歯ができたのです。
しかし、作成過程で陶材に熱をかけて焼くことにより、
せっかく合わせて作った入れ歯も収縮し、変形してしまったために、
顎の粘膜に適合させることが難しかったようです。
ド・シャマンはその後、1792年にパリからロンドンに移り開業しました。
その地でウェッジウッド会社の協力を得て1804年までの間に、
12,000個の陶器の入れ歯を作ったと言われています。
見た目や悪臭などの問題はかなり改善されたのですが、
やはりスプリングで維持していたために、
食物を噛み砕くことは難しかったようです


サロンの貴婦人達の悩み
  歯が無いというのは、ヨーロッパの貴婦人達の大きな悩みでした。
どんなに着飾っても、歯がなくては扇を口元から離すことができません。
色々な問題があったとしても、口元の美しさを回復できたのは、
女性としては嬉しいの一言に尽きたことでしょう。
でも、使いにくいことには変わりがありません。
見た目だけのあまり実用的でない入れ歯です。
そこで、貴婦人達は宴会に出かける時は、
入れ歯をはずして自宅で食事をし、
食事が終わると入れ歯をしてサロンでワインを飲み、
おしゃべりに興じていたのです。
そのために、「サロンの女性は空気を食べている」という、
ちょっと神秘的な言い方もされていましたが、
「話の途中で休まないと入れ歯が落ちてくる」
…なんていう夢のないことも言われていたようです。


ジョージ・ワシントンの入れ歯


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アメリカ初代大統領ジョージワシントン(1732〜1799)も、
入れ歯に悩まされていました。
彼は歯が悪く、28歳で部分入れ歯を使い始め、
大統領になった時には、
下の1本の歯(小臼歯)しか残っていなかったといいます。
最初の入れ歯は、鉛合金に蜜蝋を塗り、
上の歯は大鹿の牙。
下の歯は人間の歯(自分の抜けた歯だったらしい)が埋め込まれたもので、
なんと1.3Kgもあったのだそうです。
お砂糖1袋以上を口の中に入れていたわけです。
ちょっと想像できませんよね。
その後も4個ほど入れ歯を作ったそうですが、
3個目のときは、
上の土台が金でカバの牙で作った歯が金のねじで取り付けられ、
下の土台はカバの骨で作られ、やはりスプリングで結ばれていました。
写真の入れ歯は、ワシントン最後の入れ歯です。
カバの牙ではなく、象牙の歯になっています。
スプリングで維持する入れ歯は
、うっかりすると口から飛び出してしまうため、
しっかり噛んで口元を閉めておかなければなりませんでした。
アメリカの1ドル紙幣にあるワシントンの口元は、
入れ歯を噛んで緊張した口元です。
彼は、入れ歯のためか、晩年は怒りっぽく、演説も避け、
人に会うのも嫌がったのだそうです。


吸着式の原理の発見は「偶然」だった
17〜18世紀の欧米では、スプリング式の入れ歯の時代でした。
欧米で吸着する入れ歯の原理が分かったのは、
1800年フィラデルフィアの歯科医師ジェームス・ガーデッドの発見によるものでした。
ワシントンの没後1年の出来事です。
彼は、女性患者に象牙の彫刻をした上の入れ歯が、
スプリングを付けずに安定していることを、たまたま発見したのです。
しかし、当時のアメリカにおいても、なかなかこの事実が信用されず、
この大気圧で吸い付く原理が理解されてヨーロッパに伝わったのは、
それからおよそ35年後のことでした。
日本から遅れること約300年。
もっと早くに「偶然」が起こっていれば、と天国でワシントンが思ったかもしれない…
なんて考えてしまいました。


おまけのコーナー
 お隣の国ともいえる中国や韓国の入れ歯はどうなっていたのでしょう?
日本の文化にも随分と影響のある国です。
もしかしたら入れ歯も大陸から伝わってきたのかな?と思っていたのですが…
意外なことに、中国や韓国の古墳などからは入れ歯が発見されていないそうなのです。
 江戸時代の佐藤成裕の随筆で「中陵漫録」には、宗時代(960〜1279年)の詩人・陸
游の「歳晩幽興詩」のなかに「近聞するに医で堕歯(落ちた歯)を補うをもって業となすものあり」と書いてあると記してあるそうなので、とすると、中国の宗・明の時代(960〜1400年)には、義歯に類するものがあったようなのです。
 ところが、北京第一医学院の周大成氏は、それを証明する義歯(入れ歯)の出現が無いのでなんともいえない、と言っているそうなのです。
 韓国はというと、12世紀の半ばから13世紀(高麗末期〜李朝初期、中国の宗・明時代)頃には入れ歯をすることを「歯種」と言ったとあります。
 ちなみに歯科補綴術のことは「種歯」と言ったそうです。
 韓国の入れ歯の技術は、時期も同じことから中国から伝わったものと考えられます。
 しかし、韓国でもこの頃の入れ歯は、遺跡や古墳などから発見されていないのです。
 どうやら、これには宗教が関係しているようです。
 中国・韓国は、古くから儒教的生活様式・儒教的思想が深く根付いています。
 儒教の教えでは、入れ歯をすることは忌避すべきこと、極めて卑しいことで、入れ歯などは下級階級の出身者がするものと考えられていたようなのです。
 そうでなければ、高貴な人達も入れ歯を使っていたはずですし、そうなると当然、古墳・墓場から出土しているはずだからです。
 紀元前から高度の文明・文化がを持っていたインドでも、入れ歯に類するものは発見されていないうえ、記録も見つかっていないそうです。
 エジプトやギリシャ、アラブ周辺など、紀元前に栄えた他の国では発見されているのですから、宗教の違いというものが、こんなところにも影響していたわけですね。




「木の文化」と手先の器用さから生まれた、日本の「木床義歯」
  いよいよ日本の入れ歯のお話に移ります。
木床義歯は最初、
木の仏像を彫る職人の仏師や能蔓師、根付師などが彫ったといわれています。
仏像や根付の職人さん達の手によるもの、と聞けば、あの精巧な作りも頷けます。
当初は手慰み程度だったようですが、徐々に仏像彫刻の注文が少なくなり、
逆に「入れ歯を作ること」が
生活の糧となってしまったのではないか、といわれています。
そうして「入れ歯師」と呼ばれる専門職になっていきました。


「入れ歯師」と「口中医」の違い


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「入れ歯師」は、入れ歯作り専門でした。
歯を抜いたりムシ歯などの治療を行う者のことは「口中医」や「歯医者」と呼ばれ、
「入れ歯師」とは区別されていました。
「入れ歯師」は香具師(てきや・やし)の組織に属していました。
当時の歯医者さんである「口中医」は、一般医学を修得して、
口腔疾患・咽喉疾患が中心で、抜歯も行っていましたが、
義歯を作ることはありませんでした。
「入れ歯師」が「口中医」と全く違うところは、
医学的専門教育を全く受けていなかった点でしょう。
親方に弟子入りをし、修行をしていたのです。
これは、仏師などの流れが影響していたのかもしれません。
ですから、彼らの技術は、修行で身に付けた知識と経験によるもので、
秘伝ともいえるものだったのです。
室町末期から江戸初期に台頭してきた「入れ歯師」は、
江戸中期頃には、広く全国で営業するようになり、
「口中医」にかかれない庶民に親しまれた大衆的な存在になっていたそうです。


江戸時代の入れ歯の作り方


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形は似ていても、材料・道具は現在とは全く違います。
材料は「黄楊(つげ)」が多く使われていました。
黄楊は、材質が強く割れにくく、
また彫刻しやすく肌触りも良かったからのようです。
女性用に黒柿の木を使い、
鉄漿(おはぐろ)をつけているように前歯を黒くしたものもありました。
前歯には、蝋石・動物の骨・象牙・人間の抜けた歯などを使っていました。
さて、作り方です。
顎の型採りは、蜜蝋や松脂・白蝋・ごま油などを混ぜたものを使って蝋型を作り、
荒削りの入れ歯に合わせながら仕上げていったようです。
土台の木は、
まず輪切りにしたものを24時間煮てから水中に保存したものに彫刻したそうです。
細かい調整は食紅を用いて、当たった所を少しずつ削り、
精巧に仕上げていったそうです。
こういう方法は、食紅こそ使いませんが、
現在でも同じようなことを実際に行っています。
人工歯は、黄楊などの土台に動かないようにはめ込みました。
部分床義歯のように、自分の歯が残っている場合、
前歯の横に穴を開け、三味線の糸で結んで固定したりもしていたそうです。
どうやって前歯に穴を開けたのか…は分からないのですが、
錐(きり)のようなものを使ったのでしょうか?
調べているのですが、今の段階ではどういうやり方をしたのかが分かりませんでした。私もとても知りたい気持ちでいっぱいです。(分かり次第付け加えます)
他にも、金属のバネを残っている歯にかける方法をとった部分床義歯もあったようです。
入れ歯の裏側に金箔を貼り、金の殺菌作用で臭い匂いがしないよう、
工夫したものまであったそうです。
江戸時代の職人さんの発想力と技術力の高さには、本当に驚かされっぱなしです。


甘党「滝沢馬琴」
「南総里見八犬伝」で有名な滝沢馬琴(1676〜1848)は甘いものが大好きで、
若い頃からムシ歯に悩まされていました。
57歳には総入れ歯を使い始めたそうです。
馬琴日記には、入れ歯を修理してもらった当時の記録が残っています。
もし「馬琴日記」を読むときがあったら、ぜひチェックしてみてくださいね。


ゴム床義歯の登場


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1851年頃、弾性ゴムが開発されました。
これを入れ歯に使うことを考えた、
アメリカ人歯科医師のエバンスから説明をうけたグッドイヤー親子が、
ゴムに硫黄を加えると硬くなる蒸和法を考え出しました。
こうして加硫ゴム床義歯が作られるようになったのです。
1856年にはイギリスのブランデーが、
蝋型を石膏に埋め込む方法を考えつき、
それを入れ歯作りに応用するようになりました。


「皇国義歯」から「西洋義歯」へ・・・
日本が鎖国をやめて、日米和親条約を結んだのが1854年。
すでに外国ではゴムの入れ歯が広まり始めていたようなのですが、
外国との交流が始まったとはいえ、
日本にすぐゴム床義歯の技術が入ってきたわけではありませんでした。
この蒸和法が技術が日本に入ってきたのは、
20年近くたった1874年(明治7年)。
横浜に来航開業したアメリカ人歯科医師が、
この製作法を紹介したと言われています。
少し遅れを取った気持ちがしますよね。
ともかく、ここで初めて、
世界の「入れ歯」が同じ物になり始めた、ということになります。
今までの「木床義歯」は「皇国義歯」と呼ばれ、
加硫ゴムで作った入れ歯は「西洋義歯」と呼ばれるようになりました。
明治20年代では、まだ和式と洋式の入れ歯が混じっていたようですが、
こうして日本が長い間誇っていた「木床義歯」は、徐々に姿を消していきました。


ゴムの入れ歯の作り方


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作り方は、まず、金型にワックスで作った入れ歯を石膏に埋めます。
次にお湯でワックスを流してしまいます。
そうしてできた陰型に軟化したゴムを詰めます。
それを蒸和缶に入れて熱を加えて5〜6気圧で硬化させました。
実は、この蒸和法…たまに作っている時に爆発したりしたそうです。
この話を聴いた時、冗談かと思いました。
でも、どうやら本当の事だったようです。びっくりですよね。
 他にも、ゴム製の入れ歯は削りにくかったり、
匂いがつきやすかったり…という問題もあったそうです。


新しい素材・プラスティック
年号は昭和。科学が急速に進む時代の到来です。
色々な素材が開発されていく中でも、
プラスティックの発明はご存知のとおり私達の生活にどんどん入り込んできたわけですが、
入れ歯にも大きな変化をもたらしました。
1869年代には、セルロイドやベークライトなどの材料が使用されました。
1937年(昭和12年)ドイツで現在でも使われている、
アクリル系樹脂の入れ歯が開発されました。
昭和15〜16年あたりではホルマリン樹脂も利用されたのですが、
重合不足の時にホルマリンで粘膜に炎症が起こることが分かったので、
すぐに使われなくなったようです。
アクリル床義歯は、それまでのゴム床に比べて、
天然の歯肉の色と良く調和するようになりました。
今では当たり前のことですが、当時としては画期的な発明だったようです。
1977年(昭和52年)には射出形成技術という、
プラスティックを型に流し入れる新しい方法が開発されました。
新素材のポリスルフォン樹脂なども登場します。 
アクリル床やスルフォン床は現在使われている素材ですが、
それぞれにまだ問題が残っていて、今も研究が続けられています。


現在の入れ歯
  大きな発明としてはインプラントがあります。
歯は無くなってしまったけれど、
自分の歯のように取り外しをする必要のない歯を作ろうという発想は、
かなり画期的な新しい着眼点だったと思います。
技術の進歩があってこその発想だったのでしょう。
もちろん、インプラントも研究が進められているもののひとつでもあります。
昔から見れば、かなり進歩した入れ歯になった今日ですが、
画期的な変化とういうのはここ暫くの間は無いと言えるかもしれません。
もちろん、素材の改良も進んでいますし、
チタンなども入れ歯に使えるようにもなりました。
針金の無いタイプの入れ歯も出てきました。
医院で使う入れ歯の調整用の材料なども少しずつ改良されています。
けれども基本的な形は、
木の入れ歯の時代から変わっていないというのが現状です。

サメのように、あとからあとから歯がはえてくるような薬でも発明されない限り、
入れ歯という存在が無くなる事はないのかも知れません。

これから先…どんな入れ歯が開発され、発明されるのでしょう?
使いやすく違和感の無い入れ歯が出来ることを期待してしまいます。


おまけのコーナー
●昔の入れ歯安定剤
 入れ歯安定剤は、現代のものだと思っていたりしませんか?
 実は、昔から入れ歯安定剤があったのです! さすが日本人です。
 もちろん、現代のような素材ではありません。
 では何を使っていたのでしょうか?
 答えは、和紙、です。
 厚めの和紙を入れ歯の形に切り、
 それを歯肉と入れ歯の間に挟むようにして口に装着します。
 そして水を含むと、
 和紙がふやけて歯肉と入れ歯がぴったり吸い付くという仕組みです。
 本当に、すごい着眼点です。感服してしまいます。


●ベークライトってなんだろう?
 ベークライトというのは、1872年(明治5年)に発明された
 2番目に古い合成樹脂で、
 現在でも、
 たとえばお鍋やヤカンの取っ手などに使われているのがそうです。
 ちなみに、セルロイドは1869年(明治2年)に、
 アメリカのハイアット兄弟が
 ビリヤードの球の材料の象牙の変わりに発明したものだそうです


参考文献
・歯の博物館
http://www.dent-kng.or.jp/k_hakubutu/nlink_hakubutuold.htm

・歯の歴史
http://homepage1.nifty.com/06216/history.htm

・(有)帆足ベークライト成型所
http://www.hoashibake.co.jp/qanda.htm

・日本口腔インプラント学会関東甲信越支部だより 第9号



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